2人で対決する「決闘」…自分が生き残る確率は50パーセントで正しいか?
POST DATE 2017.04.08
2人が対決する決闘、生き残る確率と殺される確率、一体何パーセント?
お互いの生命を賭して2人で戦うのが「決闘」です。キッカケは何であれ、自分にとってはとても大切なことのために、命を掛けて、自分と相手とふたりきりで戦います。…さて問題です。決闘をしたら、自分が生き残る確率は何パーセントになるでしょうか?
おそらく、「それは50パーセントに決まってる!」と答える人が少なくないと思います。命を賭けた戦いでふたりが戦えば、そこで倒れるのが1人・そこから生き残るのも1人のはずで、つまりはイコール、生き残る確率は1/2=50パーセントに違いない!という理屈です。
これまで歴史上、世界いたるところで「決闘」という文化はありました。しかし、多くの時代や国で、実は決闘で生き残る確率は50パーセントからはかけ離れたものでした。
19世紀イタリアの決闘では、生き残る確率は何とビックリ98パーセント!
1879年からの10年間に、イタリアで行われた2759件の決闘について行われた調査結果によれば、決闘で殺された人は何とビックリわずか2パーセントに過ぎなかったといいます*。ということは、生き残る確率は、100パーセント−2パーセント=98パーセントにもなります。
2人で戦う決闘なのに、死ぬ確率が50パーセントではなく、生き残る確率もなぜ50パーセントではないかというと、決闘というものは相手を殺すまで行うものではなかったからです。
そもそも、何か諍(いさか)いがあったとしても、「決闘」は可能な限り回避することが求められましたし、どちらかが決闘を続ける気持ちを失ったら、つまり自分の負けを認めたら、そこで決闘は終えられたからです。
不要な「決闘」はいつの時代も避けられてきた。
日本で有名な「決闘」と言えば、宮本武蔵と佐々木小次郎の「巌流島の決闘」です。江戸時代の始め、中国地方と九州地方の間にある関門海峡にある無人島、巖流島で行われたという2人の決闘も、小次郎は武蔵に殺されたわけではないとも言われています。
西洋でも、日本でも、不要な「決闘」はいつの時代も可能な限り避けられていました。「決闘」という言葉を聴くと、自分か相手、どちらか一方は倒れ・もう片方だけが生き残る…というイメージがありますが、2人で対決する決闘…実は生き残る確率、実は50パーセントより遙かに高かったようです。
結論!
・19世紀イタリアの例では98パーセントは生き残る!
・不要な「決闘」は、いつの世も避けられていた。
*「決闘の話」より「パル・マル・ガゼット 1890/10/6」から